レースに出ようと思ったら…!?
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何度か練習走行をこなして、2人ともそこそこ走れるようになってきたので
やはり、レースに出てみよう!ということになった。
この時はもう’96シーズンもほとんど終わっていたので
俺達はデビューレースを’97開幕戦と決めた。
俺達が通っていた学校は2月の最終週に期末テストがあって
それが終わったら4月までずっと春休みになったので
開幕戦が行われる3月の最終日曜日までにかなり練習する時間があったのだ。
が、その前にテストをクリアする必要があったのだ…。
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当時マツは、貧乏レーサー街道のほかに
赤点街道も爆進中で、レースとは関係ないところでも
と言うより、レースに関係ないようなところでばかり全開走行をする
超高校級の走り屋さんだった。(正確には超高専級か…)
期末テストも中盤に差し掛かった頃、マツが俺に
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「なあ、明日のテストのノート貸してくんねぇ?」
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と聞いてきた。
翌日には「電気材料」という教科のテストがあり、
量子力学の初歩なんかが盛り込まれた難解な問題の出題が予想されたのだ。
俺的には、すでにその教科の出題のヤマハリはできていたので
マツにそのノートを貸してやった。
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そして翌日…
なんと、マツは学校に姿を現さなかった。
俺やクラスのみんなは初め心配していたが 「ついに奴も進級をあきらめたか」 などと思っていた。
しかし、事態は予想以上に深刻だった。
その日のテスト終了後、担任の先生 (機関車トーマス似) がやってきて
いつになく真面目な表情で話を始めた。
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「え〜、マツが事故りました」
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な、なんですとぉぉおおっっ!?
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先生の話によると、マツは昨日の下校途中にバイクで事故って
今、集中治療室に入っているとのことだった。
本人は意識もなく面会することもできないくらいの重態だとか。
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「おいおい、シャレになんねぇよ!レースどおすんの??」
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マツに限って死ぬなんてことはありえないと思った俺は、
一人でこんなことを考えていた。
でもよく考えてみると、これってけっこうやばい状態?なんて思い始め、
テスト期間が終わったらお見舞いにでも行ってみようと友人と話をした。
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数日後の夜、テストも残すところあと1日となり
最後のテスト勉強でも始めようかなーなんて思っていたら
ウチに1本の電話がかかってきた。
その電話を母がとったのだが、どうもリアクションがおかしかった。
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「えっ?誰?マ、ママ、マツ君??」
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それを聞いて俺もびびった。
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「マツから電話??そんなまさか!?これってもしかして、あなたの知らない世界!?」
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俺からマツの事故のことを聞かされていた母が、困惑しながら俺に受話器を渡した。
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「も、もしもし…?」
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俺も少々困惑しながら電話に出ると、やはりマツの声がした。
その声はこう言ったのだ。
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「あのさぁ、バリ伝*全巻貸してくんねぇ?」
*) バリ伝 (バリバリ伝説) : しげの秀一作のバイクものマンガ。俺達のバイブル。
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「はぁ?」
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話を聞いてみると、マツはこの時集中治療室を出て一般病棟に移されたばかりだったそうだ。
本当は安静にしてなければいけないところだったのだが、あまりの暇さに耐えかねて
看護婦の目を盗んで点滴をぶら下げながら俺に電話をしているとのことだった。
あまりのアホさ加減に少々唖然としながら、その反面安心した。
やはりマツに限って死ぬわけはなかったと…。
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翌日、俺はバリ伝を全巻もって学校に行き、
テスト終了後に友人と一緒にマツの見舞い行った。
最初にマツの顔を見たとき、誰だか分からないくらいに顔が腫れあがっていた。
マツは顔面を複雑骨折し、片方の肺と片方のタマをつぶしながらも生きていたのだ。
(あとで肺もタマもほぼ完治してしまったってところがまた信じられないのだが…)
マツと話をしていると、バラバラになった顔の骨がたまに
「コキッ!」 と鳴って、見ている方は面白かった。
この日はあまり長居せずに病院を後にした。
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とにかく、この日は大切な (それでいてアホな) 仲間が生きていたことが嬉しかった。
でも、あの時マツがフルフェイスのメットをかぶってなかったら
間違いなく死んでいただろうと思うと、何だかぞっとした。
そして、この事故から俺の親がバイクなんかやめろ!と言い出したことは
言うまでもない。
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それと、結局俺の電気材料のノートが役に立つことはなかった…。
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