チーム名
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マツは事故のせいで、約1ヶ月の入院生活を送ることを余儀なくされた。
その間に、’97北関東ミニバイクレース第1戦は行われ、
俺はそのレースを一人で見に行った。
晴れてはいたものの、強い北風が吹く日だった。
本当は今日ここでレースしてたのか、と思いながらレース観戦した後に
マツの見舞いに行った。
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4月にはマツも退院して学校に通うようになった。(クラスは俺のひとつ下の学年になったのだが)
あれだけの事故を経験したにも関わらず、マツはまったくバイクをやめるつもりはなかった。
ただ、しばらくの間公道でバイクに乗ることには抵抗を感じたようだ。
しかし、マツは5月に行われる第2戦にエントリーしようと言い出した。
俺はもちろん賛成したが、退院直後のマツの体調が心配だった。
マツ本人も、体に違和感を覚えていたらしく、
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「今回のレースは俺はメカやるから、おまえ一人で走れよ」
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とか言い出したのだ。
確かに、俺から見てもレースで30分もバイクに乗り続けるのはつらそうだった。
…しかし、どうもマツは完全に走ることをあきらめているようには見えなかった。
そこで俺が、
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「おめぇ、ホントは走りてぇんだろ?」
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と、マツに問いかけた。するとマツは
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「おぉ〜!そんな事言ってくれるのおめぇだけだよ〜!」
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と、めちゃめちゃ嬉しそうに言ったのだった。
なんだよ、やっぱり走りて〜んじゃん!
こうして、俺達は2人で第2戦にエントリーすることになった。
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レースにエントリーする際、チーム名を決めることにしたのだが
なかなかいい名前が思いつかなかった。
ん〜〜・・…。
しばらく考えていたら、マツが突然こう言った。
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「BBFレーシングはどうだ?」
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「BBF?BBFってなに??」
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「バイク ばか ふたり、の頭文字」
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即決!
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「よ〜し!俺達のチーム名はBBFレーシングだぁ〜!!!」
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これが、後に “ TEAM 勘太楼 RACING ” となる
2人だけのレーシングチームが産声を上げた瞬間だった。
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